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2008 06,03 00:01 |
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(mixiに載せた文章ですが、転載します。) 「無力の原動力」 2008年02月13日22:39 「信じるに値する未来があるから 人は頑張る。 なのに軽々しく「どうせ無理だ」と口にする大人が、子どもの可能性をつぶしています。 そんな社会は壊さなければいけない。 大人があきらめる夢の最右翼である宇宙開発を実現すれば、この世から「どうせ無理」という言葉がなくなる。 そうすれば子どもは夢を諦めずに済みます。」 北海道赤平市。 炭坑の衰退と共に活気を失った町で、社員18人名の町工場が全長5メートル弱のロケットの打ち上げ実験を重ね、10年後には人口衛星を打ち上げようと気宇壮大なチャレンジを続けている。〜〜(中略)〜〜 〜〜 ロケット開発で社員のみなさんは変わりましたか? 「一番よかったのは、飛んでいったロケットを見ながら、ある社員が「お金で買えない喜びがあるんですね。」と言ったことです。 彼らはお金への執着から解き放され、自分の能力を高めたり仲間を増やしたりするほうが大事だと気付いた。それと、優しくなりましたね。 自分に自信がついて、周りを下に見る必要がなくなった。優しくなったから謙虚にもなれて、色々なことを知ることが出来るようになりました。 宇宙開発を始めた当時、植松さんが悩んでいたことって何ですか? 「その少し前、何とはなしに誘われて、児童虐待に遭って家に帰れない子どもたちの養護施設へ餅つきのボランティアに行きました。帰り際、一人の男の子が僕に、「僕も赤平なんだ。僕もおうちに帰りたい。」と言ったんです。親に裏切られて殺されるような目に遭ったのに、なお、家に帰りたいのか。。。 その時、自分は何で会社やってるのかなと思ったんです。 この子一人助けることが出来ない。無力だなと」 「それから、ずっと悩んでいました。 人間、生まれてすぐの頃の記憶がある。だから愛されたいし、必要とされたいんです。でも、親が十分大人になっていないケースが増えています。だったら子どもたちのために、自分が愛せる対象をつくらなければいけない。それなら、子どもたちがやりたいと思うことが、「どうせ無理」という言葉で潰されてはいけない。そう思っていたときに、宇宙開発の話があったんです。」〜〜(中略)〜〜 〜〜「どうせ無理」がなくなれば、夢や可能性が否定されなくなる。 それは未来に向かって生きる励みが持てるということだ。 親の愛に戻れないなら、未来に希望を持たせてあげたい。 植松はそう思い至ったのだろう。〜〜(中略)〜〜 〜〜植松少年は、授業中も紙飛行機づくりばかりやっていた。 中学生の時、「飛行機やロケットの仕事がしたい」と言ったら、先生に「お前の頭じゃ無理に決まっているだろう」と切り捨てられ、絶望した。 それでも大学を出て大手重工メーカーの航空部門の職を得たが、仕様書通りのモノづくりしかしない仕事が楽しくなく、30歳を前に帰郷。父と二人で、町工場で汗を流してきた。 だから、植松は今、自身の経験をオーバーラップさせているのだが、それだけで養護施設での経験を宇宙開発にまで飛躍させられるのだろうか。 「3歳の時、アポロが月に着陸したのをじいちゃんの胡座の中で見たのを覚えています。『ほら、見れ』ってじいちゃんは喜んでいた。もしかしたら僕は、じいちゃんを喜ばせたくてロケットが好きなのかもしれない。じいちゃんは僕が小学校1年生の時死んでしまったから、その幻影を追っているだけなのかもしれない。でも人は、人から必要とされる、喜んでもらえる、そんなことで動くんだと思います。」 大好きな人から愛され、期待されたことが、植松の背中を押して来た。 その実感があるから、植松は親に裏切られた子どもたちに、のみならず次の世代に、愛を注ぐのかもしれない。 植松は学校を回り、自腹を切って小型ロケットのキットを小学生たちにプレゼントし、つくってもらっている。1機4000円、高度100メートルに達する本格的なものだ。 「最初にキットを見た時、子どもたちは「やったことない」と不安になります。つくっている最中に僕らがさんざん脅かすから、飛ばす段階になると「どうせ無理さ」と言いながらボタンを押すんです。するとロケットは飛ぶ。「どうせ無理」という気持ちも吹っ飛ぶんです。これ1回やるだけで、目つきも顔つきも変わって、人間になりますよ。」 生活のために給料を得んとしてあくせく働く大人たち。 切迫感や疲弊感が蔓延し、子どもに「カネにならないこと、余計なことはするな」と押し付けて可能性を潰す。 こうして大人も子どもも人間らしさを失っているのに、仕方がないさと世の中には諦めの気分がたれ込める。 でもそれは、本来とは違う意味での「生きる」に高速されているということだ。本当の「生きる」喜びとは、やりたい何かのために、期待してくれる誰かのために人生を費やし、そこから得られる自信や達成感が自分を満たしてくれることなのかもしれない。 植松は「どうせ無理」を実現することで、本当に生きるとは何なのかを、社会に取り戻そうとしている。 彼の周りから、大人は変わり、子どもは変わり、世の中は変わって行く。 ******** 京都からの帰り、新幹線の座席の前ポケットに「WEDGE」という冊子が挟まっていた。 一緒に京都へ行った相手は隣の席で熟睡中だったので、ひとり、その「WEDGE」をめくった。 そこで目にしたのが、上記に転載したインタビューだ。 北海道の赤平で「植松電機」の専務取締役をしている、植松努 氏。 その人の言葉に、心で大きく共感した。 〜〜『もしかしたら僕は、じいちゃんを喜ばせたくてロケットが好きなのかもしれない。じいちゃんは僕が小学校1年生の時死んでしまったから、その幻影を追っているだけなのかもしれない。でも人は、人から必要とされる、喜んでもらえる、そんなことで動くんだと思います。」 大好きな人から愛され、期待されたことが、植松の背中を押して来た。 その実感があるから、植松は親に裏切られた子どもたちに、のみならず次の世代に、愛を注ぐのかもしれない。』〜〜 わたしが昔から、blogの中に、何度も何度も綴ってきた言葉に、 「人を動かすのは、やっぱり人だ。」という一言がある。 今回、この植松氏のインタビューを読んで、改めてそう思った。 自分にとって大切な誰かに喜んで欲しいから、 小さなことから行動を起こす。 そして、その波が次の誰かに伝わり、やがて大きなうねりになっていく。 。。。昔から、困っている人を見ると放っておけない性格だった。 見ず知らずの車いすの女性に声を掛けられ、タクシーで中野まで一緒に行った。 銀行のATMに置き去りにされたお財布を、そのままにしておくことが出来ず交番に届けた。 「誰彼かまわずいい顔をするもんじゃない。」と忠告を受けることもある。 「使われてるな。」と感じる時もある。 でもわたしの中には 誰かに喜んでもらえることや、必要とされることで初めて自分を許せるような、 。。。そんな弱い部分が、認めたくないけれど、たしかにある。 そしてそれは 自分が無力であることを、 ほかでもない自分自身が一番知っている証なんだと思う。 外で虚勢を張っている分、 自分を見せられる数少ない誰かの前では、 せめて何かを差し出してあげたい。 わたしが存在することで、相手に喜びを与えたい。 。。。そして、 必要とされることで 受け容れて、許されたい。 。。。もしかしたら、わたしの生きる原動力は、 ずっと前から、そこだったのかもしれない。 . PR |
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2008 05,28 23:19 |
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半年ほったらかしていたこの場所だけれど、 昨日、一昨日と 株と虫さんと佐野博文さんと あと今日はじゃがりこさんからコメントを頂いたので、 嬉しくてまた記事を書く気になった。(人間って単純。。。。) 株と虫さん、佐野博文さん、じゃがりこさん。 mixiに載せた「生きる」を転載するので、 もし良かったら読んで下さい。 ******** 「生きる。」 2007年01月06日21:50 そう言えば、以前から「いつか書こう、いつか書こう」と思っていた出来事があったけれど、年末のバタバタですっかり忘れていた。 12月の。。。あれはいつだったかな。多分、20日くらいのこと。 その日たまたま家にいて、フジテレビの「スーパーニュース」を見ていたら、『全盲の夫婦、子育て密着180日』というのをやっていた。 立道聡子(たてみちさとこ)さんという全盲の女性と、その彼女を支えているご主人(こちらも全盲の方。)の出産と日常生活に密着した特集だった。 聡子さんは生まれた時の体重が800グラム以下と非常に小さく、未熟児網膜症(みじゅくじもうまくしょう)という病気で生まれながらに目が見えない。 が、常に明るく前向きで、今は結婚をされ、東京の杉並に暮らしている。 また趣味と実益を兼ねて歌もうたっていて、インディーズのCDも発売している。時々はライブもやっているらしい。 (ちなみにご主人とは、盲学校の音楽活動で知り合ったらしい。) そのふたりが結婚し、初めての出産を迎えるまでの半年を、フジテレビでは取材していた。 おふたりのご両親は全盲の聡子さんとご主人が子供を育てていくことに最初はとても反対していたらしい。 子供を育てるということは、健常者であっても大変なのに、夫婦ともに目が見えないという状態でこれからの子育ての難関にどうやって立ち向かっていくのか。。。そのことに対して とても不安を持っていたらしい。 けれど聡子さんとご主人は自分達の子供を力を合わせて育てていくことを決意した。 出産は杉並の病院で帝王切開で行われた。 ふたりは、自分達の子供にも障害が遺伝することを何よりも恐れていたが、生後3ヶ月の検診では幸い、子供の目に異常は見受けられなかった。 子供の名前は、「ゆうと」と名づけられた。 わたしが一番感動したのは、この、子供の名前の由来を聞いた時だった。 『生きるのには勇気が必要だから。』 今も、一字一句正確に覚えている。 『生きるのには勇気が必要だから。』 今日までわたしは、人生に対してこんな風に正面から立ち向かったことはなかった。 たしかに、生きることは苦しいことだと感じたりもした。 仕事で挫折した時や、身体を壊した時、生きることがつらいとも感じた。 けれど、幸か不幸か分からないが自分は健常者として生まれて、目が見えること、耳が聞こえること、親や兄弟と普通に話しが出来ること、生活する上で受けられることすべては『当たり前』で、勇気を持って生きなければいけない場面はそう何度も無かった。 でも、この特集に登場していた全盲の夫婦には、わたしなんかの何倍も何倍も、勇気を振り絞らなければいけない場面があったのだと思う。 例えば、子供を生むと決意した時も。 健常者の夫婦が子供を生む時よりも何倍も不安があって、子育てをしていくことにも何倍もの迷いがあって、それでも、自分たちの子供が欲しいと思って、勇気を持って決断したのだと思う。 特集の最後、ご主人はこんなことを言っていた。 「勇斗には、たくさんの物を見てほしい。 これからの生活の中で、目にするたくさんのものを。 その勇斗の姿を、自分達は決して見ることは出来ないけれど。」 。。。この言葉にも、 泣いた。 本当にいい特集だった。 聡子さんの名前で検索をしたら、ホームページも発見したのでURLを載せておきます。↓。 聡子さんが歌っている歌の視聴も出来るみたいです。 http://satoko-t.s143.xrea.com/ . |
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2008 05,26 21:55 |
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約半年 この場所から離れていて その間にもわたしは、 わたしなりの日常を懸命に生きていて でもその中で、悩んだり泣いたり迷ったり 一番近くにいる人を嫌いになったり 離れようともがいたり 本当に、ありきたりのような毎日の中で、 色々な、色々なことがあった。 今日、久しぶりにこのblogの画面を開いたら、 株と虫さんと佐野博文さんから とてもあたたかいコメントが届いていた。 最初、コメントのお知らせを見た時、 半年もほったらかしのこの場所に 真剣なコメントなんてつかないと思っていて 「どうせまた出会い系とかのお誘いコメントだろう」と思った。 けれど、おふたりとも ご自分の気持ちを正面から書いてくださったとても温かいコメントを寄せてくれた。 株と虫さん、佐野さん、ありがとうございます。 またお気持ちが向かれたら、いつでもいらしてください。 清水 順子 |
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2007 12,30 00:29 |
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もし あの人の手を自分から離してしまったら さびしくて わたしは泣くだろう でも このまま時間をつないでいても きっとわたしは もっとさびしくて 泣くだろう |
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2007 01,06 20:05 |
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ご挨拶が遅くなりましたが。。。 この場所を見て下さっている数人のみなさん(笑)、 「あけましておめでとうございます。」 12月31日をもって終了する。。。と書きつつ、 大晦日に更新が出来ませんでした。 なので、年またぎの文章掲載になってしまいすみません。 また、更新をしていないにも関わらず、 コメント下さった方、見に来て下さった方、ありがとうございました。 正直、閉じるかどうするか、かなり迷いました。 テンプレートやこの場所の空気がすごく気にいっていたので、 終わりにしてしまうことに対してしょげたりもしていました。 けれど、やはり 「誰に見られているか分からない」という情況に もう耐えられそうに無いので、 この場所の更新はもうしないことにします。 blogというものを始めた時は、 わたしのことを知らない誰かに向かって 全く新しい自分をつくっていける、 固定観念や先入観をなしにわたしの意見を聞いて貰える、 それがすごくわくわくしたものでした。 が、それゆえに受けた批判や、罵倒の言葉は 大きくわたしを落ち込ませましたし わたしは相手のことを何も知らないのに、 相手はずっとこの場所の文章を読み続け、 わたしという人間のへんりんを知っているということが、 すごく怖いことで不公平なことに思えてもきました。 頂いたコメントのお返事は、明日か明後日の空き時間を使って 必ずしようと思います。 これからは、メールマガジンとして思ったことを綴っていくか、 パスワード制にして旧知の知り合いと交流するか 何らかの方法を取ろうと思います。 今まで本当にありがとうございました。 あじゃさん、aiさん、kujiさん、イニシャルDさん、 Kさん、darekaさん、wakiさん、sekkyさん、まきちさん、 みなさんには、本当に長い間、支えて貰ってきました。 ここを終了しても、言葉の交流が出来ますように。。。 |
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2006 12,30 17:59 |
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「12月31日まで。」と決めたblogも、 いざ閉じるとなると凄く躊躇してしまうもので おとといくらいから「何も閉じなくてもいいんじゃないの?」 とか、自問自答している始末。(情けない。。。) そして気付けば今年も 残すところあと1日。 ハタチを過ぎてから時間が経つのは坂を転がるようで、 毎年毎年1年が早くなっている気がする。 今年はあんまり大きな挑戦もしなかったし、 「成長した!」と思うような経験がなかったので そこが2006年の反省点。 来年はもっとい1年にしたいな。 |
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2006 12,22 23:03 |
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下にも書いたように、残りの9日間、これまでの100くらいの記事から気に入っているもの15だけを残すことにしたのでこれを機に読んで貰えるとすごく嬉しい。 「50の質問」も、「あなたがいる幸せ」もホントに時間をかけて書いたので、今読んでもその時のことが蘇ってきてジーンとしてしまう。 この場所の最初の記事になった手紙。 これも、ホントに好き。 是非、これだけでも読んでほしい。 |
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2006 12,17 19:36 |
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今、いくつかのメルマガ(←メールマガジンのこと。)を愛読している。 (メルマガって何?という人はここを見てね。→URL。) 「@コスメ(アットコスメ)」という化粧品の宣伝広告や、留学ジャーナルのようなもの、 あとは、雑誌社が発行する洋服や映画の情報が載っているもの等々。。。 メルマガとblogの違う所は、blogは読者がそこへ自分からアクセスして記事を読むのに対し、 メルマガは、それを読みたいと思った人に発行者からメールという形式で読み物が送られてくること、だ。 わたしの文章なんて、メルマガで配信するほど専門的なものではないし 定期的に発行するのも難しいから、blogで充分だと今までは思っていた。 。。けれど、最近になって気付いたメルマガの利点がもうひとつある。 メルマガは、『登録していない人がそれを勝手に読むことは出来ない。』という美点を持つ。 以前の「手紙」からわたしの文章を読んでくれている人は分かるだろうけれど、 去年10月に、sekkyのblogが2chに晒されるという事件があって、 それからずっと「見えない読者」に対する恐怖が、実は密かにわたしの中に渦巻いていた。 メルマガやミクシィだったら、招待を受けて、身元の分かっている人しか閲覧出来ない、 そして、ミクシィなら個人のIDが発行されるのでIPアドレスのようにパソコンを変え 何度も執拗にアクセスされる危険も防げる。 (「ミクシィって何?」という人は、ここを読もう。→URL。) 世界中の誰でもが、手軽にここに来てくれることを嬉しいと思っていた時もあったし、 多くの人に自分の文章を読んで欲しいと思っていた時もあったけれどsekkyの事件以降、かなり考え方が変わった。 それに、このblogは「yahoo!」だとか「rakuten」だとか「goo」だとか そういう有名blogと違って本当にマイナーなblogなので、 ピング送信をしても、ピングから見に来てくれる人はいないし、 頻繁に来てくれるのは、あいさんと、dさん(女性)と、あじゃさんと、イニシャルDさんと、 あと、kujiさんと、Kさんと、ゆりちゃんと。。、名前が言えてしまうくらい昔からのblog友達が殆どで、 もう『旧知の仲』というくらいの人が読んでいるだけだ。 だから、その人達に手紙を書くような気分で文章を打っていて、 それを公開しているのがこのblogで、でも、そんな目的で公開しているなら、 何もblogじゃなくてミクシィでもメルマガでもいいじゃないかと思うようになった。 そんなわけで、年末年始のお休みを利用して、ゆっくり移行するかどうしようか考えようと思う。 (もしかしたら、面倒くさくなって移行しないかもしれないけど。。。) このblogを読んで下さっている方の中で、 「わたしはミクシィに登録していないから、ミクシィでの文章になると読めなくなっちゃうよ。」 という人がもしいたら、メール下さい。 わたしから招待状を送ります。(←ただし、昔からのblog友達のみ。) |
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2006 10,31 22:41 |
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前回の記事「『手紙』・東野圭吾」を『私書箱』というカテゴリに分類したのは、あの記事が、推敲も訂正もろくにしていない未完成な文章だった為である。 文章の上辺だけで物語の輪郭をなぞり「本当の「罪の重さ」はどの部分のことを言うのだろう・生きていくことで償いになるのか」と読者に問いかけておきながら、自分の立場はまだ明確にしていない、そんな文だ。 書くことに慣れている人が読めば、前回のそれは、記事としてあげるには不十分な出来だと分かるだろう。 。。。ではなぜあれを上げたのか。 それは、「この続きはまた今度」とつなぐことによって、次回までに自分自身に「罪の重さ」を考えさせる、そのいい契機が与えられるだろうと思ったからだ。 さて、では、あれから数日。 「罪の重さ」をわたしはどのくらい考えたのか。 正直、毎日毎日、駅への行き帰りや買い物の途中に、自身を物語の主人公に置き換えてみたりもしたけれど、全然結論らしい結論など出ていないのだ。 もしもわたしの姉が人を殺めたとして、そのせいでわたしが世間から白い目で見られたとしたら。。。 おそらくわたしは、それだけの過ちを犯した姉を許すことは出来ないだろう。 いくらわたしのため(わたしを大学に行かせるため)にその罪を犯したのだとしても、それでもわたしは、姉の一瞬の気の迷いを、それによって自らを取り返しのつかない過去へと陥れてしまったその愚行を、決して許したり受け容れたりはしないだろう。 たったふたりの家族なのだから、許すべきだという人もいるかもしれない。(*この物語の主人公には父も母もいないのでそれを例にとって「たったふたりの家族」と例えた。) けれど、たったふたりの家族だからこそ、どちらかひとりが欠け、もうひとりに悲しい想いをさせることなどあってはならないのだと思う。 親がなく、親戚もいないのなら、力を合わせて生きていくしかないのだから、その現実を受け入れ、身分不相応な願いは諦め、まず何よりも今の生活を安定させることを考えるべきではなかったのか。 ***** 。。。この「手紙(東野圭吾・著)」の恐ろしいところは、「手紙」を読んだ人間を小説の世界にとことんまで引きずりこみ、決して安易に現実には戻してくれないところだと思う。 わたしもそうで、読み終えた日から3日、まだ現実の世界に完全に戻ってはいない。 帰宅し、入浴をし、PCに向かっている時ですら、主人公が必死に生きていく苦しさを思い出し文字を打つ手が止まる。 わたしは上で「たったふたりの兄弟なら助け合うべきだ」と書いたが、実際にこの物語を読んでいる時には、金を盗みに入った兄の心情が手にとるようにわかってしまった。 兄はむしろ、たったふたりの兄弟だからこそ、弟に不憫な想いや苦しい想いはさせたくなかったのだ。 親がいないから大学を諦めるなんて、弟にそんな理不尽な情況を味あわせたくなかったのだ。 その時は、ただ金を盗むだけだと思っていた。 バレずに、いくらかの現金を盗み、誰も傷つけず、その金で弟を大学にやり、ふたりでささやかな幸せをかみ締めたかったのだ。 著作を読んでいるわたしにはその気持ちが良く分かる。 ただ、歯車はほんの僅か狂ってしまった。 その狂いにより、人生は、取り返しの付かないところまで堕ちてしまった。 「この手紙をポストに投函した瞬間から、私は貴方の弟であることを捨てるつもりです。」 たった一人の兄にこんな文章を書かなければならない苦しみを、表現する言葉が果たしてあるだろうか。 本当に、重い、深い、いい小説だと思う。 わずかな時間をぬってでも、寝る時間を少し削ってでも、読む価値のある本だと思う。 結局、3日3晩考えても、この本の世界観を形容する言葉は浮かばなかった。 そしてその事実こそが、この本の価値や他人の人生を奪う罪の重さについてを表しているのだと思う。 |
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2006 10,29 19:20 |
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この秋、「手紙」という映画が公開される。(詳細はこちら。→URL。) これは東野圭吾の同名小説(毎日新聞社刊「手紙」)を元に創られたもので、その存在は先日から何度も流れる映画のCMによって知らされていた。 映画の元となった「手紙」を、今日1日がかりで読んだ。 Amazon.co.jpに記載されている「商品の説明」(中島正敏氏によるもの。)を拝借するなら、内容はこうだ。 『 武島直貴の兄・剛志は、弟を大学に入れてやりたいという一心から、盗みに入った屋敷で、思いもかけず人を殺めてしまう。判決は、懲役15年。それ以来、直貴のもとへ月に1度、獄中から手紙を送る剛志。 一方で、進学、恋人、就職と、つかもうとした人生の幸福すべてが「強盗殺人犯の弟」というレッテルによって、その手をすり抜けていく直貴。 日を追うごとに、剛志からの手紙は無視され、捨てられ、やがて…。 1999年に刊行された『白夜行』以降、著者は『片想い』 『トキオ』など、連載小説という発表形態を通じて、読み手を飽きさせないだけのストーリーテリングの実力を確実に身につけてきた。 新聞連載された本書も、バンドデビューや窃盗事件などの出来事を積み重ね、そのつど揺れ動いていく直貴の心の危うさを巧みに演出しながら、物語を引っ張っていく。 しかしながら読み手は、たえず居心地の悪さを感じずにはいられないだろう。なぜなら、直貴に向けられる差別は、私たち自身の中にも確実に存在するものだからである。 「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない」と言い切る直貴の言葉が、ずっしりと心に響く。(中島正敏) 』 ***** Amazon.co.jpのカスタマーレビューにもある通り、多くの人が絶賛しているこの作品、 例にもれず、すばらしい名作で、重く、深く、人の心の奥底にある無意識の差別について抉り出していた。 「犯罪者の弟」という一生背負い続けなければならないレッテル。 それをはがすためかどうかは分からないが、主人公は努力に努力を重ね通信制の大学に入り、音楽に目覚め、やがて一般の学生と同じように大学の 通学過程に転籍までする。 けれど、彼が新しい場所に一歩踏み出そうとするたびにそれを邪魔する過去。 そのつもりなく出された服役中の兄からの月に一度の手紙が、彼の行く先に暗い影を落とす。 やがて彼は、自分をこんな情況に追い込んだ兄を憎むようになる。 。。。わたしは昔のblogに「罪の重さ」という記事を書いたことがある。 それは、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を犯した犯人のうちのひとりが刑期を終え、結婚し、子供を持ったことを報じていたテレビを見ての感想だった。 その時のわたしの感想は、他人の幸せを奪っておきながら自分は結婚し、子供を持ち幸せに暮らしている、そんな犯人の価値観を否定し、他人殺めた人間に幸せになる権利はあるのかと問う内容だった。 けれど、今回この「手紙」を読み、犯罪者の家族という違う視点から「罪の重さ」を捉える機会を得た。 本人が犯した罪ではないのに、兄弟(姉妹)という因果で背負わなければならない差別、 どこへ行っても付きまとう過去。 それにより閉ざされる未来。。。 人の出来る償いは、どこまでのことを言うのだろう。 忘れず手紙を送ることが償いになるのか。 例えば、極論を言うなら、償うために生きていくことは果たして償いなのか。 被害者の家族は、もしかしたら犯人に「死」をもって償ってほしいと思っているかもしれないとしたらどうだろう。 とても一度では結論が出そうにないので、この続きはまた次回。 |
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