2024 05,02 20:44 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2008 06,03 00:01 |
|
(mixiに載せた文章ですが、転載します。) 「無力の原動力」 2008年02月13日22:39 「信じるに値する未来があるから 人は頑張る。 なのに軽々しく「どうせ無理だ」と口にする大人が、子どもの可能性をつぶしています。 そんな社会は壊さなければいけない。 大人があきらめる夢の最右翼である宇宙開発を実現すれば、この世から「どうせ無理」という言葉がなくなる。 そうすれば子どもは夢を諦めずに済みます。」 北海道赤平市。 炭坑の衰退と共に活気を失った町で、社員18人名の町工場が全長5メートル弱のロケットの打ち上げ実験を重ね、10年後には人口衛星を打ち上げようと気宇壮大なチャレンジを続けている。〜〜(中略)〜〜 〜〜 ロケット開発で社員のみなさんは変わりましたか? 「一番よかったのは、飛んでいったロケットを見ながら、ある社員が「お金で買えない喜びがあるんですね。」と言ったことです。 彼らはお金への執着から解き放され、自分の能力を高めたり仲間を増やしたりするほうが大事だと気付いた。それと、優しくなりましたね。 自分に自信がついて、周りを下に見る必要がなくなった。優しくなったから謙虚にもなれて、色々なことを知ることが出来るようになりました。 宇宙開発を始めた当時、植松さんが悩んでいたことって何ですか? 「その少し前、何とはなしに誘われて、児童虐待に遭って家に帰れない子どもたちの養護施設へ餅つきのボランティアに行きました。帰り際、一人の男の子が僕に、「僕も赤平なんだ。僕もおうちに帰りたい。」と言ったんです。親に裏切られて殺されるような目に遭ったのに、なお、家に帰りたいのか。。。 その時、自分は何で会社やってるのかなと思ったんです。 この子一人助けることが出来ない。無力だなと」 「それから、ずっと悩んでいました。 人間、生まれてすぐの頃の記憶がある。だから愛されたいし、必要とされたいんです。でも、親が十分大人になっていないケースが増えています。だったら子どもたちのために、自分が愛せる対象をつくらなければいけない。それなら、子どもたちがやりたいと思うことが、「どうせ無理」という言葉で潰されてはいけない。そう思っていたときに、宇宙開発の話があったんです。」〜〜(中略)〜〜 〜〜「どうせ無理」がなくなれば、夢や可能性が否定されなくなる。 それは未来に向かって生きる励みが持てるということだ。 親の愛に戻れないなら、未来に希望を持たせてあげたい。 植松はそう思い至ったのだろう。〜〜(中略)〜〜 〜〜植松少年は、授業中も紙飛行機づくりばかりやっていた。 中学生の時、「飛行機やロケットの仕事がしたい」と言ったら、先生に「お前の頭じゃ無理に決まっているだろう」と切り捨てられ、絶望した。 それでも大学を出て大手重工メーカーの航空部門の職を得たが、仕様書通りのモノづくりしかしない仕事が楽しくなく、30歳を前に帰郷。父と二人で、町工場で汗を流してきた。 だから、植松は今、自身の経験をオーバーラップさせているのだが、それだけで養護施設での経験を宇宙開発にまで飛躍させられるのだろうか。 「3歳の時、アポロが月に着陸したのをじいちゃんの胡座の中で見たのを覚えています。『ほら、見れ』ってじいちゃんは喜んでいた。もしかしたら僕は、じいちゃんを喜ばせたくてロケットが好きなのかもしれない。じいちゃんは僕が小学校1年生の時死んでしまったから、その幻影を追っているだけなのかもしれない。でも人は、人から必要とされる、喜んでもらえる、そんなことで動くんだと思います。」 大好きな人から愛され、期待されたことが、植松の背中を押して来た。 その実感があるから、植松は親に裏切られた子どもたちに、のみならず次の世代に、愛を注ぐのかもしれない。 植松は学校を回り、自腹を切って小型ロケットのキットを小学生たちにプレゼントし、つくってもらっている。1機4000円、高度100メートルに達する本格的なものだ。 「最初にキットを見た時、子どもたちは「やったことない」と不安になります。つくっている最中に僕らがさんざん脅かすから、飛ばす段階になると「どうせ無理さ」と言いながらボタンを押すんです。するとロケットは飛ぶ。「どうせ無理」という気持ちも吹っ飛ぶんです。これ1回やるだけで、目つきも顔つきも変わって、人間になりますよ。」 生活のために給料を得んとしてあくせく働く大人たち。 切迫感や疲弊感が蔓延し、子どもに「カネにならないこと、余計なことはするな」と押し付けて可能性を潰す。 こうして大人も子どもも人間らしさを失っているのに、仕方がないさと世の中には諦めの気分がたれ込める。 でもそれは、本来とは違う意味での「生きる」に高速されているということだ。本当の「生きる」喜びとは、やりたい何かのために、期待してくれる誰かのために人生を費やし、そこから得られる自信や達成感が自分を満たしてくれることなのかもしれない。 植松は「どうせ無理」を実現することで、本当に生きるとは何なのかを、社会に取り戻そうとしている。 彼の周りから、大人は変わり、子どもは変わり、世の中は変わって行く。 ******** 京都からの帰り、新幹線の座席の前ポケットに「WEDGE」という冊子が挟まっていた。 一緒に京都へ行った相手は隣の席で熟睡中だったので、ひとり、その「WEDGE」をめくった。 そこで目にしたのが、上記に転載したインタビューだ。 北海道の赤平で「植松電機」の専務取締役をしている、植松努 氏。 その人の言葉に、心で大きく共感した。 〜〜『もしかしたら僕は、じいちゃんを喜ばせたくてロケットが好きなのかもしれない。じいちゃんは僕が小学校1年生の時死んでしまったから、その幻影を追っているだけなのかもしれない。でも人は、人から必要とされる、喜んでもらえる、そんなことで動くんだと思います。」 大好きな人から愛され、期待されたことが、植松の背中を押して来た。 その実感があるから、植松は親に裏切られた子どもたちに、のみならず次の世代に、愛を注ぐのかもしれない。』〜〜 わたしが昔から、blogの中に、何度も何度も綴ってきた言葉に、 「人を動かすのは、やっぱり人だ。」という一言がある。 今回、この植松氏のインタビューを読んで、改めてそう思った。 自分にとって大切な誰かに喜んで欲しいから、 小さなことから行動を起こす。 そして、その波が次の誰かに伝わり、やがて大きなうねりになっていく。 。。。昔から、困っている人を見ると放っておけない性格だった。 見ず知らずの車いすの女性に声を掛けられ、タクシーで中野まで一緒に行った。 銀行のATMに置き去りにされたお財布を、そのままにしておくことが出来ず交番に届けた。 「誰彼かまわずいい顔をするもんじゃない。」と忠告を受けることもある。 「使われてるな。」と感じる時もある。 でもわたしの中には 誰かに喜んでもらえることや、必要とされることで初めて自分を許せるような、 。。。そんな弱い部分が、認めたくないけれど、たしかにある。 そしてそれは 自分が無力であることを、 ほかでもない自分自身が一番知っている証なんだと思う。 外で虚勢を張っている分、 自分を見せられる数少ない誰かの前では、 せめて何かを差し出してあげたい。 わたしが存在することで、相手に喜びを与えたい。 。。。そして、 必要とされることで 受け容れて、許されたい。 。。。もしかしたら、わたしの生きる原動力は、 ずっと前から、そこだったのかもしれない。 . PR |
|
2008 05,28 23:19 |
|
半年ほったらかしていたこの場所だけれど、 昨日、一昨日と 株と虫さんと佐野博文さんと あと今日はじゃがりこさんからコメントを頂いたので、 嬉しくてまた記事を書く気になった。(人間って単純。。。。) 株と虫さん、佐野博文さん、じゃがりこさん。 mixiに載せた「生きる」を転載するので、 もし良かったら読んで下さい。 ******** 「生きる。」 2007年01月06日21:50 そう言えば、以前から「いつか書こう、いつか書こう」と思っていた出来事があったけれど、年末のバタバタですっかり忘れていた。 12月の。。。あれはいつだったかな。多分、20日くらいのこと。 その日たまたま家にいて、フジテレビの「スーパーニュース」を見ていたら、『全盲の夫婦、子育て密着180日』というのをやっていた。 立道聡子(たてみちさとこ)さんという全盲の女性と、その彼女を支えているご主人(こちらも全盲の方。)の出産と日常生活に密着した特集だった。 聡子さんは生まれた時の体重が800グラム以下と非常に小さく、未熟児網膜症(みじゅくじもうまくしょう)という病気で生まれながらに目が見えない。 が、常に明るく前向きで、今は結婚をされ、東京の杉並に暮らしている。 また趣味と実益を兼ねて歌もうたっていて、インディーズのCDも発売している。時々はライブもやっているらしい。 (ちなみにご主人とは、盲学校の音楽活動で知り合ったらしい。) そのふたりが結婚し、初めての出産を迎えるまでの半年を、フジテレビでは取材していた。 おふたりのご両親は全盲の聡子さんとご主人が子供を育てていくことに最初はとても反対していたらしい。 子供を育てるということは、健常者であっても大変なのに、夫婦ともに目が見えないという状態でこれからの子育ての難関にどうやって立ち向かっていくのか。。。そのことに対して とても不安を持っていたらしい。 けれど聡子さんとご主人は自分達の子供を力を合わせて育てていくことを決意した。 出産は杉並の病院で帝王切開で行われた。 ふたりは、自分達の子供にも障害が遺伝することを何よりも恐れていたが、生後3ヶ月の検診では幸い、子供の目に異常は見受けられなかった。 子供の名前は、「ゆうと」と名づけられた。 わたしが一番感動したのは、この、子供の名前の由来を聞いた時だった。 『生きるのには勇気が必要だから。』 今も、一字一句正確に覚えている。 『生きるのには勇気が必要だから。』 今日までわたしは、人生に対してこんな風に正面から立ち向かったことはなかった。 たしかに、生きることは苦しいことだと感じたりもした。 仕事で挫折した時や、身体を壊した時、生きることがつらいとも感じた。 けれど、幸か不幸か分からないが自分は健常者として生まれて、目が見えること、耳が聞こえること、親や兄弟と普通に話しが出来ること、生活する上で受けられることすべては『当たり前』で、勇気を持って生きなければいけない場面はそう何度も無かった。 でも、この特集に登場していた全盲の夫婦には、わたしなんかの何倍も何倍も、勇気を振り絞らなければいけない場面があったのだと思う。 例えば、子供を生むと決意した時も。 健常者の夫婦が子供を生む時よりも何倍も不安があって、子育てをしていくことにも何倍もの迷いがあって、それでも、自分たちの子供が欲しいと思って、勇気を持って決断したのだと思う。 特集の最後、ご主人はこんなことを言っていた。 「勇斗には、たくさんの物を見てほしい。 これからの生活の中で、目にするたくさんのものを。 その勇斗の姿を、自分達は決して見ることは出来ないけれど。」 。。。この言葉にも、 泣いた。 本当にいい特集だった。 聡子さんの名前で検索をしたら、ホームページも発見したのでURLを載せておきます。↓。 聡子さんが歌っている歌の視聴も出来るみたいです。 http://satoko-t.s143.xrea.com/ . |
|
2008 05,26 21:55 |
|
約半年 この場所から離れていて その間にもわたしは、 わたしなりの日常を懸命に生きていて でもその中で、悩んだり泣いたり迷ったり 一番近くにいる人を嫌いになったり 離れようともがいたり 本当に、ありきたりのような毎日の中で、 色々な、色々なことがあった。 今日、久しぶりにこのblogの画面を開いたら、 株と虫さんと佐野博文さんから とてもあたたかいコメントが届いていた。 最初、コメントのお知らせを見た時、 半年もほったらかしのこの場所に 真剣なコメントなんてつかないと思っていて 「どうせまた出会い系とかのお誘いコメントだろう」と思った。 けれど、おふたりとも ご自分の気持ちを正面から書いてくださったとても温かいコメントを寄せてくれた。 株と虫さん、佐野さん、ありがとうございます。 またお気持ちが向かれたら、いつでもいらしてください。 清水 順子 |
|
2007 12,30 00:29 |
|
もし あの人の手を自分から離してしまったら さびしくて わたしは泣くだろう でも このまま時間をつないでいても きっとわたしは もっとさびしくて 泣くだろう |
|
2006 12,30 17:59 |
|
「12月31日まで。」と決めたblogも、 いざ閉じるとなると凄く躊躇してしまうもので おとといくらいから「何も閉じなくてもいいんじゃないの?」 とか、自問自答している始末。(情けない。。。) そして気付けば今年も 残すところあと1日。 ハタチを過ぎてから時間が経つのは坂を転がるようで、 毎年毎年1年が早くなっている気がする。 今年はあんまり大きな挑戦もしなかったし、 「成長した!」と思うような経験がなかったので そこが2006年の反省点。 来年はもっとい1年にしたいな。 |
|
2006 12,22 23:03 |
|
下にも書いたように、残りの9日間、これまでの100くらいの記事から気に入っているもの15だけを残すことにしたのでこれを機に読んで貰えるとすごく嬉しい。 「50の質問」も、「あなたがいる幸せ」もホントに時間をかけて書いたので、今読んでもその時のことが蘇ってきてジーンとしてしまう。 この場所の最初の記事になった手紙。 これも、ホントに好き。 是非、これだけでも読んでほしい。 |
|
2006 12,17 19:36 |
|
今、いくつかのメルマガ(←メールマガジンのこと。)を愛読している。 (メルマガって何?という人はここを見てね。→URL。) 「@コスメ(アットコスメ)」という化粧品の宣伝広告や、留学ジャーナルのようなもの、 あとは、雑誌社が発行する洋服や映画の情報が載っているもの等々。。。 メルマガとblogの違う所は、blogは読者がそこへ自分からアクセスして記事を読むのに対し、 メルマガは、それを読みたいと思った人に発行者からメールという形式で読み物が送られてくること、だ。 わたしの文章なんて、メルマガで配信するほど専門的なものではないし 定期的に発行するのも難しいから、blogで充分だと今までは思っていた。 。。けれど、最近になって気付いたメルマガの利点がもうひとつある。 メルマガは、『登録していない人がそれを勝手に読むことは出来ない。』という美点を持つ。 以前の「手紙」からわたしの文章を読んでくれている人は分かるだろうけれど、 去年10月に、sekkyのblogが2chに晒されるという事件があって、 それからずっと「見えない読者」に対する恐怖が、実は密かにわたしの中に渦巻いていた。 メルマガやミクシィだったら、招待を受けて、身元の分かっている人しか閲覧出来ない、 そして、ミクシィなら個人のIDが発行されるのでIPアドレスのようにパソコンを変え 何度も執拗にアクセスされる危険も防げる。 (「ミクシィって何?」という人は、ここを読もう。→URL。) 世界中の誰でもが、手軽にここに来てくれることを嬉しいと思っていた時もあったし、 多くの人に自分の文章を読んで欲しいと思っていた時もあったけれどsekkyの事件以降、かなり考え方が変わった。 それに、このblogは「yahoo!」だとか「rakuten」だとか「goo」だとか そういう有名blogと違って本当にマイナーなblogなので、 ピング送信をしても、ピングから見に来てくれる人はいないし、 頻繁に来てくれるのは、あいさんと、dさん(女性)と、あじゃさんと、イニシャルDさんと、 あと、kujiさんと、Kさんと、ゆりちゃんと。。、名前が言えてしまうくらい昔からのblog友達が殆どで、 もう『旧知の仲』というくらいの人が読んでいるだけだ。 だから、その人達に手紙を書くような気分で文章を打っていて、 それを公開しているのがこのblogで、でも、そんな目的で公開しているなら、 何もblogじゃなくてミクシィでもメルマガでもいいじゃないかと思うようになった。 そんなわけで、年末年始のお休みを利用して、ゆっくり移行するかどうしようか考えようと思う。 (もしかしたら、面倒くさくなって移行しないかもしれないけど。。。) このblogを読んで下さっている方の中で、 「わたしはミクシィに登録していないから、ミクシィでの文章になると読めなくなっちゃうよ。」 という人がもしいたら、メール下さい。 わたしから招待状を送ります。(←ただし、昔からのblog友達のみ。) |
|
2006 09,18 19:22 |
|
とてもとても大好きなブロガーさんがいた。 2年くらい前からblogを通して交流していて、 基本的には「blogの人とは何があっても会わない。」、 「blogとリアルの世界は別」と線を引いていたわたしだけれど、 その人だけは、会ってもいいかな。。。と思っていた。 寝てもいいかな。。。とも思っていた。(これは冗談。) 今日、その人のblogへ遊びに行ったら、 影も形もなくなっていた。 その人のblogが、一昨日くらいからずっと2chに曝されて、 ものすごい数のスレッドが立ってた。 その人は、顔とか本名を公開していたから、 それが災いして「CSRについて」とか 色んな題名のスレが立ってしまって 槍玉に上げられてた。 読んでて、くやしくて泣けてきた。 そして、被害は続くもので、 その人のblogとリンクしているわたしの(元)blogにも 2chから人がバカみたいに来てた。 ここのアクセスが20とか30とかのショボイ数字なのに、 一ヶ月も更新していない前のblogが100とかだった。 2chの力って、すごいな。。。と思った。 あきれた。 blogをやめたくなった。 わたしはその人が大好きで、 以前に書いた「軌跡」という詩も、 その人にささげるような気持ちで綴っていて、 生き方とか、考え方とかに随分励まされたし、 携帯のメールアドレスまで教えている 数少ないブロガーさんだった。 メールして、様子を聞こうかな。。。と思ったけど、 きっと苦しんでる最中だろうから、やめた。 その人が、この先、再びblogを始めるかは分からない。 けれど、わたしはこれからも その人に向けて記事を書くことがあると思う。 もちろん、 その人だけじゃなくって、 ここを読んでくれているひとりひとりがとても大切で、 どの人も同じくらいわたしにはかけがえのない存在で、 どの人からもいい影響を貰っているけれど、 その人だってわたしにはかけがえのない人だった。 その人は、ここを 読んでくれるだろうか。 これはその人のことを思って1年以上前につづった詩です。 再upします。 ***** 「軌跡」 あの日 渡れなかった川も 今なら畏れず飛び込むことが出来る あの日 超えられなかった道へも 今ならこの足で踏み出すことが出来る あの日 苦しみ悩んだ記憶も 今ならやさしく受け止めることが出来る 歩き出すその先には 緑の丘と 白い紙飛行機 過ぎ去った時間がくれたものは 勇気と希望 そして 振り返らず歩き続ける あなたの後ろには あなただけの 軌跡 |
|
2006 09,13 23:07 |
|
blogのタイトルに「あの人への手紙」とつけているだけあって、 手紙を書くことや、手紙を貰うことがすごく好きだ。 メールが5回送られて来るのと、手紙が1回届くのと、 どちらがいいかと訊かれたら、ダントツで手紙の方が嬉しい。 その人が綴った文字、その人が選んだ便箋、封筒、 そういったいちいちに息吹のようなものを感じるから、 そしてそれを、ずっと抱きしめていられるから、 その良さはメールにはとても敵わないと思う。 わたしが自分から誰かに手紙を送る時も、便箋や封筒にすごくこだわる。 一番良く使うのは、薄いピンクの絵のない便箋。 四隅にエンボスの彫りが入っていて、品の良さが感じられるから半分以上はこれを使う。 けれど、季節によっては、絵柄のものを選ぶことがあって、 ちょっと前までは金魚のもの、今頃だと桔梗の花やコスモスの花柄の物を選んだりもする。 そして、便箋や封筒以上にわたしがこだわるのが、実は、「切手」だ。 通常売られている80円切手(緑の背景に鳥の絵が描かれたもの)を使うことはまずなくて、 その時の気分に合わせて何分も何分も吟味したりする。 切手を選ぶ時間こそ手紙の醍醐味、と言ったら言い過ぎだとわかっているが、 あんなに小さな四角形の中に、細かい絵が描かれていることに、まず感動してしまう。 わたしは昔、自分でも絵を描いていたので、 尚さら切手を「美術品」として見てしまう向きが強いのだ。 夏には七夕、秋にはもみじ、季節に合わせた切手をその人のために選ぶのはとても嬉しい。 収集まではしていないけれど、郵便を出すついでなど、 何かあると、ちょくちょく新しい切手をチェックしてしまう。 東京駅の郵便局(おそらく東京で1、2番に大きい。)には、数年前の切手もいまだに売られていて、 東京国際フォーラムに絵の展示を観にいったあとにはいつも欠かさず寄っている。 最近、一番気に入っているのは、この「ふみの日」の切手だ。 (*ふみの日とは、7月23日(23.。。「ふみ」にちなんでつけられた日。)のことで、 毎年この日に「手紙」をモチーフにした切手が発売されている。) これは大分昔に発売された「ふみの日」の切手なのだけれど、 女の子が手紙を胸に抱きしめて頬を赤くしているのがとてもかわいらしい。 抱きしめているのは、きっと大切な人からの手紙なんだろうな。。。と思ってしまう。 この切手(20円)を4枚貼ると、ちょうど80円になり、封書が送れる。 大切な、大切な手紙には、これを貼って送ろうと決めている。 が、いまだに使えないでいるくらい素敵な切手だ。 。。。本来「手紙」とは、この絵のように心をこめて綴って、 大切にするべきものなのだと思う。 わたしは手紙を綴ることがあまりにも日常的になり過ぎていて、 いつも何気なくペンを走らせてしまうけれど、 たった一通の誰かからの手紙が、時には宝物にもなり得るのだと、 この切手は教えてくれたような気がする。 この切手を眺めるたび、手紙の原点に立ち返らされる想いがする。 |
|
2006 09,12 22:52 |
|
明治○田生命という会社が、ある。 その名前の通り、生命保険の会社だ。 少し前には、保険金の不払いで世間を騒がせたり、経営状況に色々と疑問を抱いてしまうような数字を羅列していたりもして、わたし自身はこの会社にさほどいい印象は抱いていないのだけれど、それでもこの会社のCMだけは、とても好きだ。 小田和正の「時を超えて」という歌に乗せて、画面にたくさんの写真が表れる。(参照。→URL.) 虫取り網を持って手をつないで歩く兄妹。 夏の縁側で扇風機を前に声をあげる男の子。 玄関の前で撮られた、おばあちゃんと娘。 笑い合う夫婦。 日々の暮らしの中の、何気ない場面もあれば、特別な瞬間にシャッターを切ったと思われる一枚もある。 10枚近くがランダムに表れた後、「あなたがいる、幸せ」というコピーが出る。 何度も、何度も見ているCMなのに、毎回どうしても泣きそうになる。 なぜか。 この、「あなたがいる、幸せ」という言葉に、胸が詰まるからだ。 人は、普段「生きている」ということを意識せずに生きている。 今日も、明日も、朝になれば目覚めることが当たり前だと信じて眠りにつく。 けれど、どの人の命にも明日の保証なんて無くて、わたしたちは生まれた瞬間からもう「死」に向かって歩き始めている。 そんなこと、一瞬たりとも、普段は意識することなんてないけれど。。。 5年前の昨日(9/11)、世界貿易センタービルで、多くの人が命を落とした。 それは、まさに「予測すらしなかった死」であったと思う。 あんな風に、人の命はあっけなく奪われるものなのだ。 あの日、命を落とした人々のうちの何人が、果たして、あの前日に「俺の命はあと1日だ」と思っただろう。 2001年、9月11日。 あれから9月11日という日は、世界中の人にとって、忘れられない、とても悲しい日になってしまった。 けれど、同時に、あの日あの時、世界のどこかで生を受けた人もいたわけで、その人にとってはそこからが人生の始まりなのだ。 与えられた限りある人生の中で、何度「当たり前の瞬間」に幸せを感じることが出来るのだろう。 夏の午後、兄妹で手を繋ぎ歩くひと時。 縁側で、扇風機に向かって声を出して遊ぶ時間。 家の前で、祖母と共に撮る記念写真。 過ぎ行く日々の中で、当たり前の瞬間に感じる、当たり前の幸せ。 共に過ごす人がいる、幸せ。 あなたがいる、幸せ。 わたしにとっても、ここでこうしてblogを綴りながら、自分の24時間を振り返るのは、今はもうとても大切な時間に変わりつつある。 わたしの当たり前の日常を、ずっと変わらず読んで下さっている人がいるという現実も、思えば、幸せなことなのだと思う。 昨日、9月11日は、実はわたしにとっても特別な日だった。 メールを送って下さった方、本当にどうもありがとう。 「あなたがいる 幸せ」を、わたしも 心から感じています。 |
|
忍者ブログ [PR] |